「少年A(酒鬼薔薇聖斗)の手紙で償いの気持ちを感じた」と小さな記事で被害者父が述べた。その後....

2012年3月21日~2016年5月24日

神戸連続児童殺傷事件は、1997年(平成9年)に兵庫県神戸市須磨区
当時14歳の一見普通の中学生による連続殺傷事件。

別名『酒鬼薔薇聖斗事件』とも呼ばれる。

この事件で、全て幼い子供で、2名が死亡し、3名が重軽傷を負った。※猫を21匹殺している。

逮捕時の供述は、恐ロしく残虐な事件にもかかわらず、極端なマゾ的性癖が原因だった。
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なめくじ、虫、かえるを殺すことから始まるごく普通の男の子であった。
それが、哺乳類の猫を殺し始め(21匹)、エスカレートして人間にまで発展した。
哺乳類に行く着く事は、育てられる中で普遍的な罪という刷り込みがあった筈なんです。
彼は、たぶん裕福な家庭に生まれたけど、倫理観等を教える環境はなかったみたい。
※示談で、両親は巨額を支払っています
でも、両親の手記「少年A」だとなんの変哲もない普通の家庭だったとかかれている。
2007年から毎年3月に手紙が届いていたそうです。

医療少年院を退院2005年1月1日(22歳)して2年経ってからが、手紙が来はじめ。

当時14歳がどんどん変わっていって、
人のありがたさを社会の中で体験していく事で、変わったんだろうとコメント。

じゃ、医療少年院の10年はなんだったんでしょうね。


事件3年目(2000年)に両親の手記を読んだ方の感想文コピペです「※少し省略しています)

『「少年A」この子を生んで・・・』を読んで

-酒鬼薔薇聖斗の両親の手記読後感: 「分析なんかは出来ないが」-


残忍な殺人方法、奇怪な挑戦メッセージ、
そして何より逮捕された犯人が14歳の少年であったことで誰もが驚愕した、
神戸連続児童殺傷事件から、すでに3年近くが経とうとしていることを、新聞記事で知った。

犯人の少年の両親が、堅く閉ざしていた口を初めて開いて、手記を出版した、
その関連の、ちいさな囲み記事であった。


新聞記事は、本の売り上げ(印税)はすべて、(売り上げ:一億400万円にのぼる)、
殺された土師淳君のご両親と他の被害者への損害賠償に当てられる、ということを伝えていた。

私自身は、事件当時、事件があまりにも日常からかけ離れた異常性を感じさせたことで、
却って犯人の少年や、その家族に対し、なんのイメージも持てずにいた。

まったく自分の理解を超えた、
そしてそれゆえに、関わりを持てない事件、
という印象で処理してしまっていた。

たぶん、この新聞記事の、「印税は損害賠償の一部に」という点だけが、
書店で漠然と手に取った理由だと思う。そしてなにげなく買い、持ち帰って、読んだ。


一読して残ったのは、「少年A」が生まれ育った環境のいかにも
平凡な家庭の風景の印象に対する驚きと、なんとも言えぬいたましさ、だった。


本によればA少年は、
まじめな勤労者であり、日曜大工が趣味の、比較的寛容な、常識的な父親と、
物事に白黒をはっきりつけるタイプの、頑張りやで努力家の専業主婦の母親
のもとに、男ばかり三人の兄弟の長男として育った。

この種の、動機なき殺人、理解を超えた残忍な事件に常にありがちな、
「無関心な両親」「家族との接点の欠如」といった図式は、
彼のケースには表面上は見えてこない。

両親はAの誕生を待ちかねて、喜びで迎え、大切に、
乳児期は過保護なほど心配して育て、躾にも注意を払った。

読む限りでは、どこかおかしい、とはっきり見てとれるような異常さはどこにも見つけられない。
子供の犯行、それまでの変化にも、
まるで気づかなかった両親の書いたものであるから、
それも当然といえば当然なのだろうが、なにかが起きた時によく聞かれる、

「そういえば、こんなところが変だった」とか
「こういう点が間違っていたと、今になって思う」というような推察すらも、
文面からは感じられない。

「それは親が鈍かったのだ」と思われる方もいるだろうし、
責任能力のない14歳の少年が起した犯行であり
犯行自体は別としても、
犯行に至るまでのA少年の成長の経緯に
両親が全面的に責任を負わなければならないのは当然であって、
両親自身もそれははっきり感じている。

しかし、私がこの手記を読んでいて感じたのは、そういった公的、社会的な責任問題ではなく、
親と子の心の問題のやりきれないほど複雑な難しさだった。


A少年が生まれたのち、年子の弟が生まれており、一年開けて下の弟が生まれた。
すぐの弟が生まれた時には、Aはよく泣くようになり、
父親がしょっちゅうおぶって外に連れ出したり、寝かしつけたりした、と書かれている。

末の弟は身体が弱く、かかりきりになりがちな母親に
Aがストレスを溜め、児童相談所に通ったこともあるようだ。

どこにでもある兄弟の風景。

Aはよく弟たちを苛めた、と母も本人も認めている。
母親は、様子を見ていて、弟が泣いてもまだ苛めているような時は、
Aをいさめ、お尻を叩いた、と書いている。

「弱いもの、小さい者を苛めてはならない、と教えたかった」
と、母は書く。

そこに過剰な自己防衛の口調はない。
男の子の親として当たり前の軽い体罰を、
今どう捉えて良いのか途方に暮れている不幸な母親像が見受けられるのみだ。

しかし、マスコミは、
「弟を苛めるAに対して母親は激しい体罰を日常的に与えた」
と、書きたてたようだ。
その背景にはAの供述書の記事がある。
Aは
「僕は弟を苛めて、母親に週二、三回殴られた」
と、供述しているのだ。

一読者の私には、家庭の雰囲気がどんなふうであったか、
体罰の程度はどのようなものだったか、恨んで当然といえるほど激しいものであったのか、
それとも、感受性が強かった、といわれるAの過剰反応であるのか、そんな判断が下せるはずもない。

しかし、体罰にせよ説教にせよ、一般の家庭で親が子に対して行う行動を、
逐一、あるいは定期的に、あるいはランダムにせよ、

誰か第三者が客観的に判断、分析し、評価したり、裁いたりする、というようなことは、
一般的にまず行われないことであり、

親自身も、多くの場合、
自分の行動が正常なのか過剰なのか、不足なのか、あるいは異常なのか、
というような判断はできないのが普通だと思う。

もともとそれを判断するガイドラインがあるわけでもなく、
集団生活社会でもない限り、
よその家庭で親子の関係がどのように営まれているかは、

ほんとうのところ、誰にも互いに知ることはできないのだ。

わずかな手がかりといえば、どこの誰とも知れぬ脚本家が書いたテレビドラマの非現実的な関係くらいであって、
自分のやり方が一般的なものなのか、常軌を逸しているのかの
判断をはっきり下せる親は、まれであると思う。

親はただ、自分が育てられた方法とか、友達同士で交した会話、そこで得た印象などをまとめて
、自分がこれでいい、と思う方法でできるだけのことをしていくしかない。

Aは成績があまり良くなく、成績表は2と3が殆どだったと書かれている。
もともと積極性に欠けておとなしく、目立たない子供であり、
成績が良くないことに焦りを感じているふうでもないAのことを、
母親はやきもきして眺めていた、という。

たまに先生に誉めてもらって帰ってきたときにも、手放しで
「A、偉いね、すごいね」
と、誉めることがどうしてもできず、

「やればできるんだよ。この調子でがんばって。」
と、常に励ましていた、と母親は書いている。

そんな記述を読むと、心が痛む。

私の経験だが、子供が幼稚園の頃、母の日に子供たちがカードを作り、
母親にメッセージを伝える、という活動があった。

メッセージの項目に、母親に対する注文、というのがあった。
自分の子供のはよく覚えていない。
「一緒に遊びたい」
というようなものだったと思う。

子供の友達で、長女でたいへんおとなしい、良い子のおんなのこが、
「なにか悪いことをしてしかられて、あやまったとき、
『こんどから気をつけてね』といわないでほしい」
と書いていた。

私の百倍くらいやさしい、穏やかな美人の20代のおかあさんは
「いいのよ、って言ってほしかったのねえ。。
私、つい、『今度から気をつけて』って言っちゃうんですよね。
もうやらないでほしい、っていう気持ちで」
と、かわいい声で反省していたが。

子供の心の中にはいろんな想いがつまっている。

私自身も先日、中学になった娘に、

「私が幼稚園の時、先生にあげようと思って作った折り紙の手裏剣、
○○ちゃんにあげちゃったら、ママちゃんすごく怒ってたけど、なんで?」
と、突然聞かれた。

臆病で非社交的で、友達の輪に入ろうとしなかった目立たない長女が、
先生に認められるチャンス、と私は期待して見守っていたのだろうと思う。
だからと言って怒るようなことではない、今思えば、

「あらぁ、私って過保護だったんだぁ。。バカだよねー。。」
というような気持ちなのだけれども。。。

その時のタイミング、その時の気持ちは、当の母親にしかわからないだろう。
その時にはそれでいっぱい、一呼吸おいて言葉を飲みこむ余裕はないのだ。

集団検診で歯医者さんに口を開けてみせるどころか、
2時間たっぷり泣いて手がつけられなかった二歳児の長女を連れて帰る道すがら、
心配のあまりバギーを止めて、こんこんと説諭したことだってある。。。赤ちゃん相手に!
今思えば、ほとんど育児ノイローゼぎりぎりだったのかもしれない。

次女が生まれて、子供の行動は育て方では決まらない、と思い知らされて、
私の母親としての姿勢は無残に変っていった。

もし次女が、長女のように慎重で従順で臆病でおとなしく、
きちんと親の言うことに耳を傾けるタイプだったら、
私はいまだに子供を押え込み、保護し、首を突っ込んで指示を与えて
子供と団子状態の教育ママであったかもしれない。


本の中で繰り返しいわれていることに、
「いい子ではなかったが、大切な子であり、心から愛していた」
という母の言葉がある。

「拘置所で、激しく泣いて私達を罵るAを見て、
やっと、『ああ、あの事件を起したのはAだったのだ』と初めて得心しました。
けれどそれでも、Aのことを憎いとはどうしても思えません。

被害者の方に対してはどうお詫びしてもしきれない、と思います。
しかしそれでも、私にとってはAは自分の子供であり、いい子ではなくても、おとなしい、
やさしいところのある自分の子供なのです」
というような意味の記述が繰り返し出てくる。

「私はAの親です。人間としてAの行為を裁くことがどうしてもできません」

一方で、Aは供述している:
「僕が毎日弟を苛めたので、母親に週二、三回は叩かれた。
僕が悪いからですが、母は僕を好きではなかった。

でも、僕はマザコンだった時期がある。
母を必要以上に愛していたというか僕のすべてでした。」


異常、といわれ、怪物、といわれ、モンスターといわれた恐るべき殺人鬼の少年が、

ひたすら母を慕い続け、求めた反応を得られなかったさびしい幼児から生じたのだ、
ということの悲しさ。

気質性疾患(脳の異常)もなく、精神病の兆候もなく、逮捕後発症する様子もない
、冷静な殺人犯。

Aは一時のアドレナリンの作用で発作的に犯行を行ったのではなく、
自分の心の中に徐々に暗闇をため込み、ある日別の自分に切り替わってしまう。

「僕は二月十日に、何の理由もなく、またきっかけもない女の子ふたりの
それぞれの頭をショックハンマーで殴りつけたことから、
僕は到底越えることが出来ないと思っていた一線を越えたのです。

越えることの出来ない一線とは、人の道、ということです。

その道を踏み外したことから、僕にとって理性とか良心とかいうものの
大半をその時落としてしまいました。」
(検事調書より引用の引用)

「人間の壊れやすさを確かめたかった」
というA少年は、その考えを抱くずっと以前に、自分自身壊れてしまっていたのかもしれない。

今、鑑別所で
「自分のような人間は生まれてこなければよかった。このまま(鑑別所で)死にたいです」
と、淡々と語っている、という17歳になるAの心象風景を思うと、なんとも言えない気持ちになる。



事件を検証する、とか分析、解説するのであれば、
そこに倫理的判断が下されなければならないであろうし、
被害者の立場も大幅に考慮しなくてはならないのは当然である。



ただ、私が感じたのは、どこにでもいる幸せな親子、特別の野心もなく、
悪意のかけらもない平凡な親子の、
平凡な日常のなかに、親にも本人自身にも想像すら出来なかった
犯罪の芽が徐々に育まれていった、という事実の恐ろしさである。

専門家が分析すれば、Aの両親には何らかの問題があったとされるかもしれない。
自分がこう、と思うとはかけ離れた反応をAから引き出す、
なにか決定的な心理的ストレスをAに与えつづけていたと判断されるかもしれない。

しかし、私の心にあるのはそんな犯人探しではない。

私が感じたのは、自分も本質的にはAの母親と同じだ、ということだ。

Aの母親も、私と同じように、子供を幸せにしたい、
子供の可能性をできるだけ自由に伸ばしてやり、
そのことで子供が満ち足り、
意欲的に生きていけるように育ててやりたい、
という素朴な思いで日々接していた、

また、そんな姿勢から自分がとる行動が、
世間一般の評価でどのように位置づけされるのか、
自分には親としてなにが欠けているのか、
なにが優れているのか、
というような判断は、どこの親も明確に把握できるものではなく、
子供のようすを見てある程度闇雲に、
「良かれ」と思ったことをやっていくほかないのが子育て。


しかし、Aという少年が
「人間の命も虫の命も同じです」と感情なく語るとき、
心に限りなく広がっているであろう荒廃、無意味さを思うと暗澹とした気持ちに襲われる。

しかし誰かの悪意がそこに介在していたわけではない。

「死んで償え、と罵倒され、殺されても当然の報いで仕方がないことだと思います。
でもその時は
「私に死なせてください」というAの母の言葉を、
私自身は永久に口に出すことはないだろう、と断言できないこわさ、悲しさを感じるのだ。

心を結ぶ、というのは、なんと困難なことなのだろうか。


1999.1.23

参考: 『「少年A」この子を生んで・・・父と母 悔恨の手記』文藝春秋社刊


どうです。やはりベタ記事でよかったのですかね。

2014年5月24日
神戸連続児童殺傷事件から17年 
被害者の父親の土師守さんの手記が載っていました




この2014年5月24日で、淳が、私たち家族の前からいなくなって17年がたちます。
17年といえば非常に長い期間が過ぎたように思いますが、
淳がいなくなった日のことは今でも鮮明に記憶しています。
何年たとうとも、親の子どもを思う心が変わることはありません。

 
今年も、弁護士を通して、加害男性からの手紙が届きました。
変化の度合いは異なりますが、1年ごとに変化があり、今年の手紙を読みましても昨年に比べて
人間として成長しているように感じました。
現在も、加害男性に関する情報は得られていません。
しかしながら、どれほどの時間がかかろうとも、事件の真実を求め続けていきたいと思います。

加害者に質問する権利がないなど
 
本年2014年4月に改正少年法が成立しました。
今回の改正では、多くの報道機関が、少年への刑罰が重くなったことばかりを取り上げているように思います。
しかしながら、期間の問題だけではなく、
その間の教育内容についても、もっと取り上げていくべきではないかと思います。
今回の改正では、ほかにも重大事件における事実認定に対する検察官の関与の拡大や、
加害少年への弁護士である付添人を付ける範囲の拡大など、重要な改正点がありました。

 しかしながら、全国犯罪被害者の会(あすの会)が要望した、
審判傍聴の対象者の範囲の拡大、
加害少年に対する質問の許可
社会記録の閲覧の許可、被害者国選弁護人制度の実現などは、
今回の改正でも盛り込まれませんでした。
少年犯罪被害者のさらなる犠牲を軽減するためにも、今後の継続的な見直しは必要であると思います。

以下省略
(要旨は被害者のための法律の充実を要望しており、少年Aに対して、被害者の子供に対しての思いは記述されていなかった。)

2014年8月15日
神戸家裁判事だった、井垣康弘(74歳)さんは、
長崎佐世保高1同級生殺害についてのコメントで
「本人の成育環境や家族関係を時間をかけて丁寧に調べるのが重要だ」
元判事の実体験として、思わぬ事実を述べた。

「少年Aは、検察に「祖母の死を通じて人を殺すことに興味を持った」と話しています。
疑問を覚えた判事は精神科医に
「事件の本当の動機を調べて欲しい」と鑑定を依頼した。
その結果少年は
性的サディズムがあり、残虐なシーンで性的な満足を得ていた」

今回の少女も「人を殺してみたかった。」と供述しているが、
「小学生ですでに哺乳類の解剖をしていたなど類似性があるかもしれない」と述べた。
さらに
「少女が何故こんな事件を起こしたのか、誕生の時まで遡って調べる必要がある。」

サディストとか近親姦とかは、自らは言えない、そういう辱としての認識を持っている
少年Aもなぜサディストになったのか、それが解決されていない。


2015年6月11日
少年A(元酒鬼薔薇聖斗)が手記「絶歌」を大田出版より発刊された。
初版で10万部、被害者に事前の了解を取っていなかった、

被害者の小学6年生(当時11歳)の父さんが
「なぜこのようにさらに私たちを苦しめることをしようとするのか全く理解できません」
「今すぐに出版を中止し本を回収してほしい」と訴えた、

特に教育評論家の尾木ママはブログで「読まない、出版停止!」とヒステリックに宣言しています。
※プロなら,読んでおくべきでしょう。出版停止とは、情けない。
他にテリー伊藤、西川史子、デーブ・スペクター、坂上忍さんたちは、非難。

武田鉄也、元フジテレビアナウンサーの長谷川豊さんたちは、「少年犯罪を理解する資料」と擁護。


 ●●この手記『絶歌』に、これまで少年Aにかかわってきた人々からの感想。

当時、神戸家裁でこの事件の審判を担当した元判事・井垣康弘氏は
法廷で、その後も少年院でAと面会を繰り返し、
2004年3月に仮退院するまでAを見つめ続けた人物。

「生き方を丸ごと転換するために、Aはこれを書く必要があったんだと思います。
これまで、彼は自分のことを“人の皮を被ったケダモノだ”と考えてきました。
世の人間とは対等につきあう資格がないんだと、
口を閉じて、モグラのように土の奥底に潜って生きてきたんです。

でも、そんな生き方はもうやめたい、どんな非難を受けてでも世の中に出たい、
少なくともAが前を向いていることは伝わってきました」

「執筆は、これから作りたい友人、恋人に読んでもらいたくて、「こんなボクでも付き合っていただけますか?。」
改めて注目を集めたい、犯罪防止とか、自分の犯罪に酔っているとか、被害者への謝罪とか、そうじゃない。

 もしこの手記を書いても世の中の全てから拒絶され、ひとりの知友もできなければ、Aは自殺するでしょう。
法廷で、私は彼に“生きろ”と伝えた人間です。

当時、裁判でAの弁護団長を務めた野口善國弁護士も、同じ感想を持っていた。

「正直、彼が出版した意図はわかりません。
手記を読んでみて、彼は成長しているな、とは感じました。
当時、彼は社会との結びつきを求めず、生きる意味も価値も見いだしていなかった。
でも、この手記で、なんとかして社会とつながろうとしているのがわかりました」

Aが手記に書いた後書き

《この十一年間、沈黙が僕の言葉であり、虚像が僕の実体でした。
僕はひたすら声を押しころして生きてきました。
(中略)でも僕は、とうとうそれに耐えられなくなってしまいました。
自分の言葉で、自分の想いを語りたい。
自分の生の軌跡を形にして遺したい。
朝から晩まで、何をしている時でも、もうそれしか考えられなくなりました。
そうしないことには、精神が崩壊しそうでした。(中略)
僕にはこの本を書く以外に、もう自分の生を掴み取る手段がありませんでした》
※女性セブン2015年7月2日号

ある教師が、被害者は2億円という慰謝料は、一般家庭にとって、一生かかる辛い生活を強いられる。
加害者の親は,事件発生3年後手記を書いて約7000万円を返済、
今も月7万円(少年A1万円,両親6万円)を返済している。

被害者は,金銭目当てで巨額の請求をしたわけじゃなく、一種の罰(復讐)を与えたかった。一生苦しませたい
それが、報いだど。
今度の手記の印税で返されては、意味がない。だから猛烈に反発している。

少年Aは少年のままじゃなく32歳の男になっている。
もし、彼が普通の人間に戻っていたら、
それでも、被害者は、モグラのような生活を強いれるのか?

2015年9月14日
週刊ポストで事件当時の顔写真と実名を公表した。
ポストは『彼は自ら情報発信を始めている。
彼の実名を含めたあらゆる言動は、公衆の正当な関心の対象で、論評材料になる』とコメントを出した。
社会復帰した人間の名前を出す事で、彼はどんな扱いを受けるか、それをわかって報道することは、
正当な関心ごとではないように思う。

2016年3月12日
2007年から続いている3月23日の命日に少年Aからの手紙を受け取り拒否をした。
「絶歌」発行後その本と手紙も受け取らなかった。
 
いつまで、受け取らないんだろうか。


2016年5月24日※19回目の命日
被害者の父(60歳)は報道各社にコメントを送った。

加害者(33歳)とは,もう関り合いたくないという思い
被害者父ののコメント要旨

私たち遺族は,19年前にあの日起きたことを昨日のように鮮明に覚えています。
何年経とうとも、親の子供への想いは変わることはありません。
 今年は、加害男性から手紙は受け取っていません。
私たちといたしましては、彼とはもう関わり合いたくないという思いです。
 
2015年年6月に、被害者や遺族に何の断りも無く、
被害者をさらに傷つけるような手記を出版しました。
殺人等の重大事件の加害者が、自分が犯した犯罪に関する書籍を出版することは、
被害者の精神へのさらなる加害行為と言えます。
「表現の自由」とは別次元の話だと思います。
本来でしたら、出版そのものが禁止されるべきであると思いますが、
最低でも何らかの規制は必要であると考えています。
 
近年、犯罪被害者支援条例が多くの自治体で制定され、兵庫県内でも多くの自治体で制定され、
さらに制定に向けて動いている自治体も見られます。
被害者支援条例の制定により、地方自治体の犯罪被害者に対する対応が大きく改善されるであろうことは、
非常に重要なことであると思いますが、
この条例の制定において最も重要なことは、
犯罪被害者にとっての拠り所ができるということだと思います。
 
今後も、制定の流れが進むことを期待するとともに、犯罪被害者に対するさらなる支援体制の強化を願っています。

さらに
『加害者は犯した罪に対する罰は何も受けていない。彼への教育は,全く何の意味もなかった』と質問に答えた。














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