死亡記事「堺屋太一」2019年2月8日多臓器不全のため、東京都内の病院で死去(83歳)

堺屋太一

本名 池口 小太郎(いけぐち こたろう)

生年月日 1935年7月13日 大阪府大阪市中央区玉造生れ
父は早稲田大学卒の在野の弁護士で、母は奈良県出身ながら上品な船場言葉を見事に操る呉服商の「いとさん」
出身校 東京大学経済学部卒業

配偶者 池口史子(洋画家)
池口金太郎 大蔵官僚で北陸財務局長を務めた(法学部卒)は6歳年上の実兄。
親族 熊村昌一郎(義兄)

1954年(昭和29年)大阪府立住吉高等学校卒業、2浪して兄と同じ東大へ。
※進路指導の際、担任教諭は、大阪大学も無理だから大阪市立大学あたりにしろと言うつもりだったが、「東大(に進学したい)と言うなら、もう何も言わない。自分で頑張ってほしい」と告げる。

1960年(昭和35年)4月に通商産業省(現経済産業省)入省。
1961年「巨人・大鵬・卵焼き」を言う
日本での万博開催を提案、1970年の「大阪万博」の企画・実施に携わり、成功を収めた。1975年-1976年の「沖縄海洋博」も担当する。
工業技術院研究開発官として3年ほど自然エネルギーに関わるサンシャイン計画に携わった後、
1978年通産省を退官した。
※2005年(平成17年)の愛知万博では当初最高顧問であったが、お祭り色の強い博覧会を考えた堺屋と長期的計画を望んだ地域の意図が合わず、2001年6月28日に辞任した。
2014年には、2025年万国博覧会の大阪招致構想を提唱した。

代表作 『油断!』(1975年)
『団塊の世代』(1976年)
『峠の群像』(1981年)

1998年~2000年 経済企画庁長官(第55〜57代)、内閣特別顧問、内閣官房参与などを歴任した。
株式会社堺屋太一事務所および株式会社堺屋太一研究所の代表取締役社長であった。

日本の富と知恵を生かすには、道州制などの地方分権、小さな政府、規制緩和、官僚主義の排除を推進すべきだと主張。
首都機能移転の論客でもある。日本は約400年ごとに遷都してきた歴史があり、結果それが活力を生んできたと主張していた。

「文芸春秋」2011年9月号の「民主応援団長が見た『日本中枢の崩壊』」の中で、「平時のように四角四面に法律を適用していては、ことは迅速に進みません。正直なところ、裏社会の人に協力を要請しないと突破できない局面も出てきます」と言った。
堺屋太一.jpg







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